NSR競技車両

 

NSR500

ホンダ・レーシング(HRC)が開発した競技専用のオートバイ

2ストローク500ccV型4気筒エンジンを搭載したロードレーサー500ccという排気量から、初代NSRは140ps、最終的には200psを超えると言われるまでのパワーを発揮した。

年々のパワーアップ競争で常にライバルのヤマハやスズキをリードしていたと言われるが、ライダーのコントロール能力を超えるほどのハイパワーは諸刃の剣となる。

その課題解決策として1992年に投入されたビッグバン・エンジン(同爆エンジン)は、その後のGPマシン開発の方向性に大きな影響を与えたエポック・メイキングな技術であった。

 

 

開発までの経緯

1984年から2002年までの19シーズン、HRCからオートバイロードレース世界選手権(WGP)に投入された競技専用車両。NSRとは「New Sprint-racer of Research」の略称とされている。

1983年当時、主力マシンであった2ストロークV型3気筒エンジンを搭載したホンダ・NS500は小型・軽量・低重心を開発の主眼に置き、軽快な旋回性能とすばやい立ち上がり加速を武器に、エースライダーのフレディ・スペンサーを中心としてシーズンを戦っていた。

各ラウンド全体を俯瞰してみると、低中速サーキットではマシン開発の目論見どおり、旋回および加速性能を存分に発揮し優勝を含む好成績を収めたが、舞台が高速サーキットやアップダウンの激しいサーキットに移ると、絶対馬力に勝るV型4気筒エンジン搭載のヤマハ・YZR500の後塵を拝する結果となっていた。

そこでホンダは1983年シーズン当初から、将来のグランプリを長いスパンで戦い抜ける性能をもつ新型マシンの開発に着手した。

ライバルのYZR500と同等かそれ以上のハイパワー、かつNS500で得た軽量・低重心を兼ね備えたパッケージを持つニューマシン。それがNSR500プロジェクトのスタートであった。



1984 - 1986年
約1年間の開発期間を経て登場した1984年モデルのTYPE-1は、非常に先進的なレイアウトにまとめ上げられていた。

通常はエンジンの真上にある燃料タンクをエンジン下にマウントしているため、排気管をエンジンの上に通すという、独特なレイアウトを採用。

重い燃料タンクを車体下部に置いて重心を下げ、燃料の減少による操縦性の変化を抑えようという狙いがあったようである。



しかしながら、燃焼ガスによって高温に熱せられる排気チャンバーが吸気を熱してしまう熱害や通常であればエンジン上部にある燃料タンクを取り外せばアクセスできるエンジン周りが、排気チャンバーを外さないと整備しづらい(走行直後では、排気チャンバーは高温に熱された状態であり、外す事自体も困難だった)というメンテナンス性の低さ等々により、TYPE-1の独創的レイアウトは永く採用されなかった。

翌1985年以降は燃料タンクがエンジンの上にある一般的なレイアウトに変更されている。
心臓部の2ストローク500ccエンジンは、1984年から1986年までシリンダー挟み角90度のV4、1987年以降2002年の最終型まで挟み角112度のV4(ともに1軸クランクシャフト)レイアウトを採用。

当初90度の挟み角で向かい合うシリンダーの間にキャブレターをレイアウトする空間が取れず、後方2気筒の後ろにキャブレターを配置していた。このため後方2気筒の排気ポートを前方に向けて取り回すより他はなく、結果、排気チャンバーがエンジンの下側で複雑に絡み合う状態となっていた。





1987 - 1991年
1987年以降、NS500の経験からシリンダーの挟み角を112度へと変更。互いに向き合うシリンダー間にキャブレターを置くレイアウトに変更。この変更により、後ろ側2気筒はストレート形状の後方排気となり、車体下部のボリュームダウンと排気系の取り回しが改善されている。
1988年までは、シリンダーの点火順序は90度等間隔爆発方式、1989年にはサーキットの特性に合わせて、180度等間隔同爆仕様のエンジンを使用したと言われている。

また、ヤマハやスズキと同様の2軸クランクシャフト方式のエンジンが試作されて研究されていたが、当時のHRC社長である福井威夫の「猿まねするな」の一言により実戦への投入の申請は却下された。



1992 - 2002年
1992年には、それまでひたすらにハイパワーを追求して他社を引き離すという「馬力至上主義」ともいえる開発方針を転換。ライダーに扱いやすい過渡特性でエンジン出力をタイヤへ導くことに着目した、不等間隔位相同爆方式と呼ばれる技術を採用。

この新エンジンは、通称ビッグバン・エンジンと呼ばれ、シーズン序盤から圧倒的な優位性を発揮した。

有り余るハイパワーを確実に路面に伝えるため、エンジン出力の過渡特性を改善した技術はこのシーズンを席捲。

1990年頃からNSRの開発に発言権を持ち始めたマイケル・ドゥーハンの意見により、ライダーに扱いやすいエンジン特性が重要視され始めた。また、マシンのパッケージに大きな変化を与えず、前年モデルをじっくりと熟成させていく方針もドゥーハンによるところが大きかったと言われる。

1997年シーズンには、このビッグバン・エンジンの技術をベースに、かつての等間隔爆発に近い点火順序を与えたスクリーマー・エンジン仕様のNSRが登場。

この新しい試みのエンジンにテストで好感触を得たドゥーハンは、ただひとりスクリーマー・タイプのエンジンを選択。

1989年以来、等間隔爆発のハイパワーエンジンで戦った過去の経験が充分に活かされ、このシーズンはドゥーハン単独で12勝をマーク。僚友のアレックス・クリビーレと岡田忠之のビッグバン仕様での勝利も合わせ、コンストラクターとしてシーズン全勝の記録を残す圧倒的な強さを示した。以降1998年から2002年の最終型まで、スクリーマータイプのエンジンが標準仕様となった。

1999年のドゥーハン引退に伴い、一時期開発の方向性を失い低迷しかけるが、2001年に大幅な設計変更を受け、イタリアの新鋭バレンティーノ・ロッシがシーズン11勝を挙げチャンピオンを獲得し、再び圧倒的な速さと輝きを取り戻す。2002年、加藤大治郎により最後の活躍を果たし、次世代のニューマシン・4ストローク990ccV型5気筒エンジン搭載のホンダ・RC211Vへと主力の座を明け渡した。

 

 

 

 

 

 

 

NSR500V


NSR500V はホンダ・レーシング(HRC)が開発、市販した競技専用のオートバイで、2ストローク500ccV型2気筒エンジンを搭載したロードレーサー

NSR500Vはプライベーターが参戦しやすいマシンを目指して開発され、1996年のロードレース世界選手権500ccクラスにデビューした。
V4マシンのNSR500と同じクランクケースリードバルブ式の水冷2ストロークVツインエンジンが搭載された。
このエンジンは当時の他のホンダGPレーサーマシンと同じくVバンク角は100度、シングルクランクシャフトを採用する。車両重量は103kg、航空用ガソリン(通称「アブガス」)を入れた場合に135bhpを発生する。
新車価格は、1997年モデルの場合で本体のみの定価が800万円、セットアップキット付きが920万円、エンジン・アセンブリーは320万円であった。

V4マシンよりは40-50馬力ほど非力なものの、より軽く、乗りやすく、ハンドリングの良いマシンに仕上がっている。
V4勢よりも速いコーナースピードを維持できるのが最大の武器であり、多くのサーキットでは、単独で走行した場合V4勢と同じぐらいのラップタイムを出すことができた。
しかしレース中のバトルでは、コーナー脱出時の加速に優れるV4勢に軍配が上がることが多く、予選では好成績でも決勝が混戦になると順位を落としてしまう傾向があった 。

 

 

 

NSR250


1986年から2001年までロードレース世界選手権や全日本ロードレース選手権で活躍した、ホンダの250ccワークスレーサー。
ベースとなったのは、1985年の世界選手権250ccクラスにおいてフレディ・スペンサーが乗ったワンオフのマシン・RS250RWである。
このRS250RWはNSR500を1/2にしたモデルともいわれ、スペンサーは1985年にこのマシンで500ccクラスと250ccクラスの両クラスにダブルエントリーし、ダブルタイトルを獲得している。
翌年の1986年にはRS250RWをベースにしてNSR250が開発され、世界選手権および全日本選手権で活躍し、多くのライダー達がタイトルを獲得した。
最後の参戦となった2001年には、加藤大治郎が世界選手権250ccクラスで11勝し、タイトルを獲得した。

ライバル車でもあるヤマハのYZR250が完全なワンオフマシンであるのとは違い、ワークスマシンでありながら量産車ともいえるという特徴がある。
一定量のマシンを生産し(ワークスマシンとしては)安価で投入することで安定した成績を収めるという戦略を取っていた(2000年代に入り同様の手法をアプリリアも行っている)。そのためワークスマシンでありながら、チャンバーが市販車などと同じ鉄製の水圧プレス成形で作られているなどの特徴がある。

1998年型からはエンジンが1軸V型2気筒から2軸V型2気筒へと変更されたが、チャンバーにカーボン製の保温カバーが巻かれていたり、開発担当であった加藤の1998年の全日本選手権やWGPで使用する選手が苦戦するなど、かなり扱いが難しい車両であったという。

 

 

 

NSR-mini

NSR50をベースとした競技仕様車。

公道を走行する必要がないことから最初から保安部品(ヘッドライト・ウインカー・ブレーキランプ・ホーン類)やスピードメータ、バックミラー・エンジン始動用のキックペダル等などは装備されておらず、形式も公道仕様がAC10に対しレース用としてRS50という型式を与えられた。ナンバーを取得して公道を走行することはできない。

ベースとなっているのは1995年型以降のNSR50後期型(AC10-17****以降)であるが、電気系統は新設計。

また、最初から混合オイル仕様となっている。

更にラジエータは1995年型のNSR50ものよりも更に大型の銀色に光るアルミ製のものが装備され、冬場はガムテープで半分ほど塞がないと冷えすぎてしまうほどの冷却効果を得られるようになった。

足回りについてはフロントフォークはイニシャル調整が可能、リアサスは減衰力が調整可能なタンク別体式となり、オプションでソフトとハードのスプリングが用意されている。

またこの車両より、長年使用されたプログレッシブレートのフロントフォークスプリングは廃され、シングルレートスプリングとなり、フロントサスペンションのダンパーもより減衰力の高いものへ変更を受けている。

カウルは1995年型以降と同型ながら塗装はされておらず白色。ヘッドライト用の穴は別パーツのゼッケンプレートで塞がれている。ホイールはNSR50前期型用の3本スポーク。チャンバーはNSR50後期型と同形状のアップチャンバーだが、色はサイレンサー部もフラットブラックのmini専用仕様となっており、Mクラスにおけるレースで定評があった。NSR-miniをレースで使用する場合、やはり電気系統を1994年型以前のものに変更するのが一般的であったため、2002年に標準で1994年式ACGとNSR80用イグナイターが装備されることとなった。

なお、ミニバイクレース界におけるNSF100の普及と、2stから4stへの時代の流れにより2009年春モデルを最後に販売を終了した。

 

 

 

 

e-NSR

動力に電動モーター駆動を採用した、排出ガスを一切出さないクリーンなレースマシンの提案です。
周囲の環境に配慮しながら、手軽にエクストリーム・レースが楽しめます。
また、リアホイール、スイングアーム、シートカウルなどを収納するとコンパクトになる設計となっています。

モータースポーツを気軽に楽しめるバイクです。



■全長:1,450mm

■全幅:450mm

■全高:750mm

■原動機種類:  ホイールインダイレクトモーター